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サンコーのものがたり~創業者の想い~

社名の由来

会社の設立は、1975年(昭和50年)5月8日です。
創業者の細川三郎が前職を退職したのが3月31日で、会社の設立が5月8日と日数が約1か月ほどしかなく、
その間での大阪本社の設置、そして1事業部、3営業所(名古屋・京都・広島)での事業開始。
5月8日開設時には、人員27名でのスタートとなった。
退職時にはまさかこんなことになるとは全く考えておらず、何の準備もしていなかった。
急を要したことは、先ず社名をどうするのか?ということ。
私の名前が「三郎」で、妻の名前が「光子」、この頭文字をとって『三光』と名付け、幹部社員3名に発表。

三郎の思い

3人の子供たちが仲良く、姉弟愛で会社を支えてほしい   困難な時ほど力を合わせてほしい。

光子の思い

光り輝く未来に向かって、会社の永続を願い、全身全霊で会社を支えてほしい。
時は昭和50年、当時の社名はカタカナ文字の設立会社が多く、時流に合わせ『三光』を『サンコー』としてはどうか、との意見もあり決定した。
次に夢は大きく、販売を主とした会社となる「三井物産」を目指そうと、幹部の話し合いで「物産」をいただき、『サンコー物産株式会社』と決定しました。
和親協力の精神でやりぬく決意で決定したものです。

社章の思い(三矢の教え)

歴史的な人物・毛利元就(もうり もとなり)
室町時代後期から戦国時代にかけて、安芸の国広島県西部(現・広島県安芸高田市吉田町 細川会長の出身地から車で20分のところ)戦国最高の知将と呼ばれ、中国地方の全域を支配した名将の教え

『 三矢の教え 』                        
晩年、毛利元就が病床に伏したある日、3人の子供 隆元・元春・隆景を呼び、先ず父・元就が1本の矢を折って見せた。次に、3本の矢を束ねて折ろうとするが、それは折れなかった。その時3人の兄弟が力を合わせて毛利家を守れと告げた。息子達はこの教えに従うことを誓った。    
社章は、創業者(細川 三郎)の子供たち3人が仲睦まじく、会社を盛り立てていくことを願っている。            
( 仲睦まじくは社章の3つの輪、中心の矢は右側に時を惜しむことなく少しずつ天に昇るが如くの意味を表わしています) 

キャラクター(サンタン)

徳川幕府は、300年続いた。そのために、続く仕組みを作った。
サンコー物産株式会社は、「鶴は千年、亀は万年」といわれます。
夢は大きく企業の存続を万年と定め、永久的に「細く永く」少しずつ前進すればよい。
創業者(細川 三郎)は丑年です。創業者も、牛も、亀も決して早くはない。
今の勝利を望むより、遠い未来を夢見て、限りなく少しずつ伸び続ける姿を望む。
こんなことを思い、日本昔話の中から
~ 紀元前六世紀の頃 ~
うさぎとかめのかけっこのお話し。最終章でかめさんが勝利したお話し。
サンコーもこれを見習う方法で前進する。
それは、古代ギリシャ、イソップが創った物語で、日本には1593年頃に伝えられ、日本昔話と同じように親しまれました。
「人間の生き方」を教えてくれた物語です。
この物語の中で、母から教えられたこともあります。

社歌への想い

会社設立は昭和50年5月8日、経営資源が何も無い状況からのスタートでした。
先祖に感謝、家族に感謝、そして当社を今日まで支えて下さった社員さんと多くのお取引先様に感謝しつつ、その思いを詩にしました。
40年を振り返り、当社で働いて下さった人々にも感謝の念が一杯です。
大自然の恵みを受けて、春・夏・秋とに分けて詩にまとめています。
作詞/細川 三郎  作曲/高山 華奈
春の陽映ゆる 道頓堀川 革新の力は 感性を磨く
挨拶の道 幸せの一歩 深き伝統 受け継ぎ守る
吾等は誇る サンコーの文化 ああサンコー 感謝の会社
夏清流の 道頓堀川 自立の力は 発展の道
謙虚な道 傾聴の奇跡 古き文化は 吾等の歴史
産業の発展 心に誓う ああサンコー 希望の会社
           秋豊かな 道頓堀川 素直な心で 正しく生きよ
質素な道 感謝を紡ぐ 夢は大きく 未来を語れ
広き世界の 荒波超えて ああサンコー 平和の会社

社歌

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